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KYS:011
待ちぼうけ/ペィチカ/砂山/この道/あわて床屋
本文:12ページ 価格:800円(税別)
[楽曲解説]
「待ちぼうけ」 1923年作曲。古代中国、宋の思想家である韓非子の『守株待兎』という話を北原白秋がバラードにまとめたものがテキストになっている。イントロの伴奏は当時の大連で山田が聞いた馬車のチャルメラのメロディーをもじったものであるという。 「ペィチカ」 1923年作曲。北原白秋と満州(中国東北部)を旅行した折に、南満州教育会から依嘱を受けて作曲された。「待ちぼうけ」も同様である。数ある山田歌曲の中でもひときわ美しい情感をもった1曲である。なお、初版などは「ペチカ」とされ、広く流布されたが、1950年刊行の山田耕筰名歌曲選集では「ペィチカ」と改名しており、本稿もそちらに従った。 「砂山」 1922年、新潟の童謡音楽会に招かれた北原白秋が、新潟にちなんだ歌の注文を受けて作詩し、作曲を中山晋平に依頼し完成させる。山田がこの詩に注目して作曲したのは1926年12月のことである。中山は素朴な民謡調のメロディーを当てたのに対して、山田はより詩の情景に肉薄した、非常に荒涼たるメロディーを紡いでいる。 「この道」 1927年2月24日作曲。ことばのアクセントをそのままメロディーに置き換え、さらに瑞々しい情感を映し出した日本歌曲の傑作。初出は『童謡百曲集』第3集に収録。山田自身による管弦楽編曲もなされた他、フルートとピアノによる『「この道」を主題とする変奏曲』が編まれるなど、山田耕筰にとっても特別な作品であったようだ。 「あわて床屋」 1927年作曲。北原白秋がこの詩を発表した当初は石川養拙によって作曲されていた。山田耕筰がこの詩を取り上げたのはその4年後であった。「チョッキンナ」のリフレインがとても楽しい作品。白秋も山田版を大変気に入っていたという。初出は『童謡百曲集』第3集に収録。
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[楽曲解説]
「待ちぼうけ」
1923年作曲。古代中国、宋の思想家である韓非子の『守株待兎』という話を北原白秋がバラードにまとめたものがテキストになっている。イントロの伴奏は当時の大連で山田が聞いた馬車のチャルメラのメロディーをもじったものであるという。
「ペィチカ」
1923年作曲。北原白秋と満州(中国東北部)を旅行した折に、南満州教育会から依嘱を受けて作曲された。「待ちぼうけ」も同様である。数ある山田歌曲の中でもひときわ美しい情感をもった1曲である。なお、初版などは「ペチカ」とされ、広く流布されたが、1950年刊行の山田耕筰名歌曲選集では「ペィチカ」と改名しており、本稿もそちらに従った。
「砂山」
1922年、新潟の童謡音楽会に招かれた北原白秋が、新潟にちなんだ歌の注文を受けて作詩し、作曲を中山晋平に依頼し完成させる。山田がこの詩に注目して作曲したのは1926年12月のことである。中山は素朴な民謡調のメロディーを当てたのに対して、山田はより詩の情景に肉薄した、非常に荒涼たるメロディーを紡いでいる。
「この道」
1927年2月24日作曲。ことばのアクセントをそのままメロディーに置き換え、さらに瑞々しい情感を映し出した日本歌曲の傑作。初出は『童謡百曲集』第3集に収録。山田自身による管弦楽編曲もなされた他、フルートとピアノによる『「この道」を主題とする変奏曲』が編まれるなど、山田耕筰にとっても特別な作品であったようだ。
「あわて床屋」
1927年作曲。北原白秋がこの詩を発表した当初は石川養拙によって作曲されていた。山田耕筰がこの詩を取り上げたのはその4年後であった。「チョッキンナ」のリフレインがとても楽しい作品。白秋も山田版を大変気に入っていたという。初出は『童謡百曲集』第3集に収録。